公式プロフィール

「吉田ヤスシ」、DJ「Tuttle」、「中屋浩市」の3人で1994年12月 結成。
1995年5月のOh ゆれ大阪にてライブデビュー。但しまったく自発的に動くということがなかったため、年に4回程度の呑気なノリで活動をスタート。

95年12月“ボアダムズ”を脱退し、“グラインド・オーケストラ”に本腰いれて活動を開始した「吉川豊人」が“ナスカ・カー”に加入。同時に「中屋浩市」はグラインドオーケストラに加入。吉田ヤスシは“スパズマム”を結成し活動を開始。

1996年2月 Tuttle脱退。メンバー3人が前に出てヴォーカルを取るというけったいかつ独特のスタイルが確立。この時期のメンバーは中屋浩市、吉川豊人、吉田ヤスシの3人がフロントで、Tag Ragレコードのオーナー&フリーのPAオペレーターの前川典也(現ヴァーンミリオンサンズ)がPAオペレーターで参加するという体制で、今思えばバンドをダシに大がかりに遊んでいただけのような気もする。。

ナスカ・カーのジャンルは何か?とよく聞かれたが、反則技のオンパレードとか評される事が多い。
当時、雑誌ではよく西の電気グルーヴと言われたりもしたが、それはもともとはCD発売の時の『電気グルーヴみたいに売れてくれたらいいなあ。。』の発言が、どこでどうおかしくなったのか『西の電気グルーヴ』になってしまったもので、どうしてそうなったのか、その経緯は今でも謎である。

97年6月ファーストCD『電波潮流』を発表。
インタビューの申込みも軒並み東京発の雑誌ばかりで、大阪の雑誌といえば、「G-スコープ」のみ。
当時、いかに地元で全然ライブやってないのかよく解るようなな内容である。 また、レコ評も「ムーグが表紙のグランドロイヤルマガジンのような感じ」、「作り込んでいるが、ちまちまとした計算を感じさせない変形ロック、考えるまでもなく楽しめるサウンド」とか「バンドで行われている破天荒な実験をデジタルに置き換えた、掟破りオンリーのクレージーなサウンドを聞かせる電子過激派。強烈なお笑いのセンスと斬新な音のアイデアが奇蹟的に噛み合った、ちょっと他にはないオモロイサウンドを聞かせてくれる」(SPA by 佐々木 敦)「楽曲としての構成は驚くほどしっかりしていてクォリティも高い。ただ単に各々が好きなことをやっているバンドではない。」「本当に西の電気グルーヴかと疑ってかかったら、おつりが来るほど大笑い。アホ・ジャンプのK点越えに命をかけている感あり」(TVブロス)と言う具合にほとんどが音楽専門誌ではなく、若者カルチャー雑誌中心の高得点評価である。東京なんてまだ一回しか行っていないのに・・・・・・・・。
しかも東京・大阪で行われたCD発売記念ライブ(大阪:ファンダンゴ、東京:恵比寿MILK)も信じられないくらいに盛り上がりメンバ−全員ともども呆気にとられていた。あろうことか渋谷のタワーレコードでは平積みで尋常ではない置き方がなされていたり。東京のHMVから「大阪ではさぞ盛り上がっているんでしょうねえ」などと言われる始末であった。 ところが大阪では片隅にぽつねんと置かれていたり。いいとこ試聴器の前に置かれている程度で扱いが異様に低いのが印象的であった。ネット時代前夜の頃では東西の情報はこれくらい差があったというか。。まるでよその国レベルなのが何とも言えなかった。

97年12月 吉川豊人がライブ活動休止のため結成当時の2人に戻る。


98年1月には竹久圏(aka kirihito V&G)等のゲストを入れたバンド形態の「東京ナスカ・カー」として再度みるくでライブ。今思えば流動的なメンバ−変遷はたぶんこの時期から始まっていたのかも。。続いてはKレーベル総帥率いるダブ・ナルコティックサウンドシステムと共演。この時初めてビデオ映像も駆使してライブを行う。この芸風もたぶんこの頃からと思われる。同年、音源ではオフマスク00のリミックスを担当、トランソニックレコーズの永田一直氏の依頼により『衝撃のUFO』のリミックス盤に参加等精力的に活動する。


1999年1月、セカンドアルバム「電子水母」を発売。そのトータルコンセプトは“1999年のBGM”でノストラダムスの大予言に合せたタイミングで発表。 デザイン的には表ジャケットはステッカーになっており、その下に本当のジャケが隠されているという相変わらず小細工に凝りまくった仕上がりで、その内容は音楽之友社「レコジャケ・ジャンキー」に某巨大バンドのパロディジャケとして取り上げられている。なおかつ前年作ったプロモーションビデオをパソコンで見られるようにと、この時代では先駆者ともいうべきCD-EXTRA仕様で発表。ハードディスクレコーダーを駆使する作風に変化し、フットワークを軽くしてほいほいとリミックス&コンピレーションに多数参加するようになりますます中屋のソロユニットとしての性格を強める。

翌2000年、永田一直と合体ユニット「ナスカ・エクスプロ−ジョン」結成。アルバム「August 2000」発表。

2001年1月、中屋はHelicoid0222MBのにヘルプとして参加し、その後プロデュース&エレクトロニクスとして「Ele・Shock」に全面参加。

同年3月、吉田ヤスシ脱退。

同年5月心斎橋クラブクアトロのライブよりギターに松江潤加入。同時期、山崎マゾのスペースマシーンのクルーとして宇宙電子音のライブも平行して行う。

2001年10月、西岡由美子加入。2002年5月吉田光寛脱退。

実際2002年2月よりサードアルバムレコーディング開始。録音時のメンバーは、
・中屋浩市(Programing,Electronics,Vo)
・松江潤(Spoozys,JMG,Prismic Yuki Band..etc : Guitar,アレンジメント)
・西岡由美子(Americo : Vo,全作詞)

同年、須藤俊明
(Thermo,Spoozys,Gomez The hitman....etc : Bass,&Drums)が正式に参加。

同年10月サードアルバム「Nasca car-Maximum Speed」発表。

翌2003年1月、再結成 The Original Ultra Bideにエレクトロニクスで参加。他、Jojo広重(非常階段)との覆面ユニットkishidashinに関わり、アルケミーレコードより「V.A./双音迷宮」を発表。

同年5月、前年末に山崎マゾ-河端一-中屋浩市でゆらゆら帝国ノオープニングアクトで行ったスペースマシーンのライブを収録した「3」がアナログ盤2枚組で発表。


2004年3月西岡由美子脱退。メンバーは全員東京という状態のため、関西ではデュオ形式でライブを押し進める形となり、即興度合が増える傾向になり流動的なライブを行う。

2005年10月スズキジュンゾ、ギターで加入。

翌2006年3月アルケミーレコードから「Jojo広重トリビュート〜生きている価値あり」にナスカ・カ−で参加。プログラミングをすべて生演奏に差し換えるという、マルチプレーヤーとして腕の確かな須藤ならではの荒技が炸裂。ナスカ・カー(東)は完全にバンド形式に変貌。

それまでソロ+即興演奏の傾向の強いライブを行っていたナスカ・カー(西)も
2007年8月、ex-クッダチクレロの後藤がギターで参加。2008年2月れお(ex-ニーハオ!)Drで加入。ナスカ・カー(西)もバンド体制に。

2009年7月ギターに生駒加入。後藤脱退。東西ともに3人体制になりバンド体制確立するものの

2010年、れお、少年ナイフ加入の為離脱。同年8月、アイガ(ノイズわかめ)加入。

2011年、安藤美紗子、Bassで加入。ナスカ・カー(西)はこの時点で完全にギャルバンと化したwww

2012年、ナスカ・カー4作目の作成にとりかかる。6月にEmmy Kunocovic(Helicoid0222MB)がDrで加入。
とうとう関西では女性3人に男が一人という体制確立!!!!www

同年8月の幕張メッセのFree Dommune Zeroに中屋が非常階段のサポートで参加。以後非常階段の控えメンバー(準メンバーというのが正確)として活動の幅を広げつつ多忙を極めだしたため、演奏力、センス、アレンジャーとしての力量の凄さ故、協同プロデューサーで須藤に白羽の矢を立てたものの、須藤もジム・オルークの片腕かつ奇形児、果てはEP-4まで…と様々なグループを同時並行で活動してたため、まるまる一年は計画しただけで終わる。


2013年、2月からレコーディング開始。中屋は同時に初音階段のメンバーに抜擢され、他にも、AMTの河端一、非常階段の岡野太と電子音プログレサイケハードロックトリオ、Andolomeros2に参加。他、非常階段見習いとして多忙を極めつつも、10月ナスカ・カーの新譜「最新録音盤」が発売。
 

© 2015 BY NASCA CAR RECORDINGS. 
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